競馬セブンまとめ | 競馬の起源とヒッタイト帝国の訓練師キックリ

最終更新日 2024年11月9日

古代オリンピックの正式種目だった

競馬は、人間が馬に触れ合った有史以前からあったと考えられ、馬が家畜化された頃から頻繁になったとされています。

一般的には、紀元前8世紀の古代ギリシア吟遊詩人「ホメーロス」の長編叙事詩「イーリアス」の23歌に登場する2輪戦車の競争が最初とされ、2輪戦車はより安定する4輪戦車へと進化したものの古代ギリシアで行われていた古代オリンピックの正式種目となっています。

ホメーロスのイーリアスは、トロイア戦争10年目の英雄アキレスの憤怒からトロイア最強の戦士ヘクトールの葬儀までを書き綴った叙事詩であり、イーリアスの続編とされると「オデュッセイア」はトロイア戦争凱旋途上イタケ王オデュッセウスの10年間の漂泊の旅を綴った叙事詩環です。

2輪戦車競馬は、古代オリンピックの正式種目となっていたことからガイウス・ユリウス・カエサル・オクタヴィアヌスの登場により紀元前27年に共和制から帝政に移行したローマ帝国にも引き継がれ、紀元57年10月にローマ帝国で第5代皇帝に即位したネロも生涯1,800勝をあげています。

ネロは、都ローマの3分の2を焼き尽くした紀元64年ローマの大火の黒幕とされる暴君であり、当時のローマ帝国では安倍内閣お得意の「忖度」が自動発動し落馬して優勝と記録されていました。

訓練された馬による競争は、オリエントの戦争のあり方を根底から覆したとされるヒッタイト帝国を起源とする考古学者や研究者が多く、1906年トルコのアナトリア半島のボアズキョイで紀元前1400年頃に楔形文字で記されたヒッタイト帝国の粘土版が1万枚以上発掘されています。

 

競馬と調教の歴史

ヒッタイト帝国は、西アジアや小アジアなどユーラシア大陸西部で発生した大規模な民族移動を契機に現在のトルコにあたるアナトリアに紀元前22世紀初頭パンバ王によって建国され、1258年のカデシュの戦いでは当時最強と謳われたラムセス2世率いるエジプトを屈服させたほどの強国です。

エジプトの2輪戦車は、鉄に比べて強度が低いだけでなく重い青銅を車軸やフレームに使用していたことから非常に鈍重とされ、軽戦車とも呼ばれるヒッタイトの2輪戦車とは戦いにならなかったとされています。

ヒッタイト帝国の調教マニュアルは、紀元前1350年にミタンニ王国が属国になる前から帝国に住んでいたフリル人のキックリが楔形文字で記したとされ、キックリの調教マニュアルは製鉄技術と並ぶ国家機密とされていたことから紀元前1200年に発生したカタストロフに起因する海の民の侵攻の際も世に出ることなく1906年までアナトリア半島のボアズキョイで眠っていた粘土版です。

キックリの調教マニュアルは、戦馬の世話の仕方や病気の治療方法など馬の健康状態を良好に維持するものだけでなく、馬の歩様から全力疾走の距離及び回数に加えて全力疾走後に塩水を飲ませるなど現代の競走馬の飼育管理や調教方法と大差ないほどの高度です。

また、戦車専用戦馬の訓練所はヒッタイト帝国の主要な軍事基地敷地内に存在したとされ、調教の節目や調教の最終段階など仕上がりを確認するために戦士による競馬が行われていました。

日本国内では、第40代天皇天皇の治世8年目の紀元679年に純粋に馬の俊足を鑑賞するために馬競べをしたことが日本書紀に記載されており、飛鳥時代よりも以前から馬競べが行われていたとされています。

 

競馬ファンが増えた背景

日本の馬競べは、純粋に速さを競う「走馬」と「騎射」に分かれて独自進化したとされ、騎射は日本書紀の第21代雄略天皇記に登場する馬競べです。

雄略天皇記では、雄略天皇が第17代履中天皇の長子にして従兄弟にあたる磐坂市辺押磐皇子を馬上から射殺したとあり、雄略天皇が紀元419年〜479年まで生きていたことから古墳時代末期に馬競べが行われていたとする学者もいます。

イギリスでは、1353年〜1414年までカンタベリー大司教を務めたイングランド貴族アランデル伯爵とプランタジネット朝最後のイングランド王にリチャード2世が私的に度々行ったとされ、1539年には専用コースの「ルーディー」が完成しました。

その後、フランスやアイルランドで開催され、19世紀にはドイツやイタリアでも開催されるようになり現在に至っています。

日本国内では、1860年に横浜市元町で開催されるとともに、1866年に横浜の外国人居留地に専用コースが建設されました。

1888年には、現在のように馬券が販売されるようになり、現在の天皇賞前身となるエンペラーズカップや現在の皐月賞の前身となる横浜農林省賞典四歳呼馬などが行われました。

現在では、平地競走〜ばんえい競走まで大きく分けて5種類の競馬があり、100万人〜800万人のファンがいるとされています。

また、ピーク時の平成8年や平成9年に及ばないものの平成23年で底を打ち昭和後期の水準を超えている良い傾向です。

背景には、3連単による万馬券の出現回数の増加や万馬券を大きく超える1000万馬券・2000万馬券などの出現が夢を与えていると考えられています。

 

競馬セブン(七騎の会)から見る競馬予想情報より引用