最終更新日 2024年11月9日
「福島復興の現状を知りたい」
「具体的にどのように福島復興が過去に行われたのか知りたい」
「株式会社アトックスさんの取り組みが気になる」
東日本大震災は日本各地に大きな自然の爪痕を残しましたが、とりわけ太平洋に面して長大な海岸線を有することから津波の被害がはなはだしく、加えて原子力発電所の電源喪失という事態に見舞われた福島県の一帯は、言語に絶するものがあります。
当初は津波によって市街地の多くが押し流され、着の身着のままでの生活を余儀なくされた福島の人々ですが、あの震災から10年を経過して、福島復興の取り組みも力強く進められるようになりました。
【関連】株式会社アトックスの子会社である株式会社福島クリエイトは、本社と富岡事務所を拠点に、地域密着型で事業を展開している企業です。
→株式会社福島クリエイトとは?アトックスとの関係は?
目次
福島復興の具体的な事例をアトックスさんに聞く
福島復興とはいってもさまざまな取り組みが同時並行的に進められてきたわけですが、とりわけいざというときのための避難路を確保すること、そして福島復興に欠かせない物資や人員を確実に送り届け、また交流人口の創出にも確実に寄与するために、三陸自動車道をはじめとする各種の道路網の復旧や新規の整備がなされてきたところです。
特に太平洋岸を通過していたことから津波と地震による路面の崩壊などの深刻な被害のあった常磐自動車道については、驚くべきスピードで復旧が図られ、支援車両の迅速な移動に貢献したところです。
その後は放射性物質の除去作業などによる沿線の放射線量の大幅な減少を待って、段階的に開放が進められ、現在では前線が開通することとなりました。
ほかにも仙台から八戸に至る三陸沿岸道路が全線開通、東北中央自動車道の相馬から桑折間が開通し、縦方向と横方向のいずれにおいても福島のアクセス性の向上が図られています。
道路とともに現地における生活の基盤を整備することも急務であり、たとえばこの間に南相馬市立総合病院や附属小高診療所などの医療機関が開所し、病気やけがの際の不安を払拭できるようになったほか、大規模商業施設や宿泊施設を有する大熊町交流ゾーンが街開きを行うなどしています。
行政が中心となって移住支援センターを立ち上げる
またもともとの住民の帰還を促すだけではなく、他の地域からの移住・定住を促すための取り組みとして、行政が中心となって移住支援センターを立ち上げたほか、広域的な課題に対しては移住促進実行会議で議論することとされました。
これらは施設の整備といったハード面に加えて、ソフト面での取り組みもあわせて実施することを意図したものであり、福島復興に向けたスタンスのほどがうかがえます。
福島復興というのは、つまるところ、単純にすでにあったものを復旧することではなく、いつまでも福島に住み続けたいと思えるような希望を生み出すこころみでもあります。
そうした意味では目先の生活や緊急事態への対応もさることながら、将来の発展が容易に予測されるような施設を積極的に誘致することも必要です。
そこで工業用水や高圧電力などを完備した南相馬復興工業団地なども造成され、地域の雇用を支える企業の誘致が行われています。
このような工業団地に立地を決めた場合、企業サイドも自立・帰還支援雇用創出企業立地補助金をはじめ、南相馬市企業立地助成金や雇用奨励助成金といった各種の補助金・助成金による恩恵が受けられるほか、福島復興再生特別措置法による課税の特例の対象にも該当することになります。
新産業の創出に向けて大熊インキュベーションセンターも開所
地元自治体にとって企業の新規立地は法人市民税をはじめとした財源の確保という面でメリットがありますし、企業側や地域住民にとっても各種補助金などによるアドバンテージや雇用による収入確保などのさまざまなメリットが見込まれますので、まさにウィンウィンの関係が保てるといってもよいでしょう。
最近では新産業の創出に向けて大熊インキュベーションセンターも開所し、スタートアップ段階で低廉な家賃による事務所の確保などに課題を抱えている起業家たちが集まりつつあります。
もちろんこのような整備が事業として続くなかで、ちょっとした息抜きやレクリエーション、人と人とのつながりが持てる場づくりなどにも需要が集まってきています。
近年になって登場したふれあいセンターなみえ
そこで近年になって登場したふれあいセンターなみえは、図書室や会議室などを備えた交流施設、通所介護事業所などが入居する介護関連施設、キッズスペースや岩登りのコーナーを備えた子どもの屋内プレーパーク、野球やサッカーを楽しめる屋外運動場の複合施設となっており、地域におけるこうした需要を一挙に解決するものとして期待されています。
また震災前は定例的に行われていた、原子力発電所のお膝元である双葉町のダルマ市なども久々に復活するところとなり、神輿なども繰り出して大いに盛り上がりをみせました。
さらに産業界でも東京の主要企業と地元福島の企業とをマッチングするプロジェクトのようなものも生まれており、産業面での交流の増大も期待されています。
まとめ
このように我が国がかつて経験したこともなかったような大規模な災害を経て、福島は確実に将来を見据えて歩きはじめようとしています。
ここで紹介したような道路網や生活の基盤づくり、場づくりといった取り組みが時間をかけて実を結び、将来に花開くことは疑いようがありません。
そのときに向けて今も着々と各種の事業が推進され、そして完成をみています。